2018年11月14日水曜日

人は模倣には満足できない

どうもです.

謎のタイトルですが,ふと思ったことをメモ程度に簡単に残しておこうと思います.

釣りでもなんでもそうですが,模倣するということを人間はよくやります.
誰かの真似をする.

学ぶとは真似ぶということでもあるとは思うので,模倣自体が悪いことではないし,自分の知らなかったことなら,積極的に自分もやってみる姿勢は大事だと思ってます.

ただ・・・・.

模倣をするだけではなかなか満たされないことが多いなぁと思うのです.

人の真似をして釣った.釣れた.
その真似をする元になった人が優れていたのであって,釣った人が優れていたわけではないと思います.

※真似ができるということそのものはものすごい能力だったりしますが.

最初は魚が釣れることが面白いので模倣の釣り,コピーの釣りでも満足できます.

ただ,人間は欲深いもので,私の場合ですが,もっと釣れる方法はないのか?と模倣ではなく,模索を始めます.

模倣からの模索.

ここにまずは脱初心者のキーがあると思っています.

なぜ模索をするのか?それは満足度が足りないからです.

模索の結果,自分なりのオリジナルを作りたいと思うようになります.

人間が知的生命体である以上,個人的には人は模倣には満足できず,必ず最後はオリジナルを求めると思ってます.

そのオリジナルが,模倣より優れたものであるかどうかに拘わらず・・・.

そうして,人から見たらあまり変わらないように見えるかもしれませんが,模倣の先にある自分オリジナルの釣りを今は未だに模索して,進化させようとしているつもりです.

私と同じ結論に先にたどり着いている人も居るでしょうし,私「だけ」がやっているということは少ないかもしれませんが,それでも,システムの構築やロッド,ジャーク,リール,フック,ルアー,釣り場.色々なところにオリジナルを求めてこそ,趣味だと思いますし,楽しいと思います.

もし,今,釣りに満足できてないなとか,伸び悩んでるなと思っている人は,「釣果」という結果だけにとらわれずに,自分オリジナルの釣りを模索してみてはどうでしょうか?

以上,書きなぐりの乱文失礼しました.

でわ.

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